関の氏神

亀山八幡宮

境内散歩

床屋発祥の地碑


碑は正面大鳥居の右側に建立されています。
床屋発祥の地下関を継承すべく、全国の理容関係者の醵金により「床屋発祥の地碑」が建立され、平成7年7月17日に碑の除幕式が挙行されました。
毎年11月には、下関理容組合、宇部理容組合による毛髪供養祭が執り行われています。

「髪結職文由緒書」より

鎌倉時代の中期(1264〜73年)、亀山天皇に仕えていた京都御所の北面の武士“従五位ノ下北小路蔵人頭・藤原基晴”は、宝刀紛失の責任をとってその職を辞し、三男“采女之亮政之(うねめのすけまさゆき)”を連れて宝刀探索のため、当時蒙古襲来で風雲急を告げていた長門国下関に下った。采女之亮は、新羅人の髪結職からその技術を学び、我が国初の結髪所を開き往来の武士や金持ちを客として生計を立て、宝刀の探索を継続していた。

その結髪所の奥には、亀山天皇と藤原家祖先を祀る立派な床の間(とこの祭壇)があり、いつとはなしに「床の間のある店」と呼ばれ、転じて「床場(場は人の集まる場所)」、さらに「床屋」という屋号で呼ばれるようになり、下関から全国へ「床屋」が広まった。

その後、采女之亮は宝刀を見つけ朝廷に奉還し、鎌倉に移り住んで京都風の結髪職として幕府から重用された。


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