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碑は正面大鳥居の右側に建立されている
床屋発祥の地下関を継承すべく
全国の理容関係者の醵金により「床屋発祥の地碑」
が建立され
平成7年7月17日に碑の除幕式が挙行された
毎年11月には
下関理容組合、宇部理容組合による
毛髪供養祭が執り行われている
「髪結職文由緒書」によると
鎌倉時代の中期(1264〜73年)
亀山天皇に仕えていた京都御所の北面の武士
従五位ノ下北小路蔵人頭・藤原基晴は
宝刀紛失の責任をとってその職を辞し
三男「采女之亮政之(うねめのすけまさゆき)」を
連れて宝刀探索のため
当時蒙古襲来で風雲急を告げていた
長門国下関に下った |